機械じかけのオレンジを見たので ネタバレ解説!

あらすじ
舞台は近未来のイギリス。主人公は、暴力とクラシック音楽、特にベートーヴェンをこよなく愛する青年アレックスです。親元でペットの蛇ともに暮らしています。
仲間・暴力・セックス・音楽
ハイになれるミルクを飲ませるバーを拠点にし、不良仲間とチームを組んでいます。アレックスはそのチームのリーダー格をやっていて、毎晩何をするか仕切っています。
ライバルチームがレイプしている現場に駆け付け病院送りにしたり、交通事故を装い民家に入れてもらい、今度は自分がレイプや強盗とめちゃくちゃをしています。
一人のときは音楽をこよなく愛し、毎晩ベートーヴェンを聞きながら眠りにつきます。レコード店にも通い、ナンパした女の子を連れ帰ることも。
裏切り・逮捕
ある時、チームの仲間がリーダーを代われと言ってきます。いったんは了解したものの、ふいうちで仲間を全員コテンパンにのし、リーダーの座を守ります。
しかし恨みを買ってしまい、仲間の裏切りから警察に捕まってしまいます。その場では殺人を犯しており、刑期は14年となりました。
刑務所での生活
アレックスは刑務所ではおとなしくしているようで、牧師の話を聞き聖書をよく読み、牧師の補佐役となっていました。
あるとき、内務大臣が刑務所に視察に来ます。刑務所の収容可能人数が不足しており、運営費も財政の重荷となっています。ルドヴィコ療法という画期的な医学的な更生手法が開発され、これを受けることで刑務所に入らずとも更生できると言われています。ルドヴィコ療法のテストをするために視察に来ていたのでした。
刑期を短縮できるという噂を聞き興味を持っていたアレックスは、視察中の内務大臣に声をかけ、ルドヴィコ療法の被験者となることに成功します。
ルドヴィコ療法
ルドヴィコ療法は吐き気をもよおす薬を摂取しながら映像や音を見聞きすると、その映像や音に関連するものに関わると反射的に吐き気を催し嫌悪感を感じるようになるというものだったのです。
アレックスは殺人やレイプの罪だったため、薬を摂取し暴力的な映像や性的な映像を見せつけられました。暴力やセックスに対して吐き気を催すようになり、BGMとして流れていたベートーヴェンにも吐き気を催すようになりました。
釈放
ルドヴィコ療法のテストとして、喧嘩を吹っ掛けられ暴力を振るうかチェックされました。テストはパスし、釈放となります。
実家に帰るものの、14年間帰ってこないと思っていた両親は、アレックスの部屋を使って下宿させていました。住む場所がないアレックスは街を出歩きますが、かつて暴力をふるった相手に仕返しにリンチされます。ルドヴィコ療法のせいで殴り返すことはできませんでした。
かつて強盗に入った家に救われる
散々な目にあったアレックスは、朦朧としながら見覚えのある家に助けを求めます。家主はやさしくアレックスを出迎えました。
家主はアレックスがニュースに出ていたルドヴィコ療法の被験者だと気づきました。野党の支持者で、現政権が実施した政策であるルドヴィコ療法の非人道性をアピールすることで、政権転覆を狙うことを思いつきます。
また、アレックスが強盗に入った犯人だと気づき、憎悪の念を抱きます。ベートーヴェンを聞かせると苦しむことに気づき、繰り返し聞かせることで自殺に追い込みます。
入院生活
飛び降り自殺を試みましたが、大けがを負っただけで済みました。アレックスの自殺は現政権が実施したルドヴィコ療法のせいだと大ニュースになり、現政権の危機が訪れます。
その対応として内務大臣はアレックスのもとを訪れます。そしてルドヴィコ療法の解除を約束します。
ルドヴィコ療法の解除を受けたアレックスは、暴力セックスも受け入れられるようになりました。めでたしめでたし。
自由と全体主義
人間の本能的な自由と、管理された全体主義の対立がテーマの一つです。
本能的な自由
物語の導入部ではアレックスは仲間と暴力・セックス・音楽を楽しんでいます。どれも人間が本能的に求めるものです。
アレックスは逮捕前、何をしていたのか思い出してみましょう。
- 暴力
- レイプの被害者を救う
- 浮浪者を殴る
- 強盗
- オペラ歌手の歌を嘲笑する仲間を殴る
- セックス
- ナンパ
- レイプ
- 仲間とつるむ
- ペットの蛇をかわいがる
- ベートーヴェンを聞いて眠る
- 明らかにヤバそうなミルクを飲む
三大欲求や仲間・ペットとのふれあいなど、人間が誰しも求めることばかりです。暴力も、この映画を見て興奮を覚えた人は少なくないのではないでしょうか。
ただしアレックスは善悪の区別をしていません。一般的な価値観では暴力は悪となることが多いですが、レイプの被害者を救うシーンは勧善懲悪にも見えます。逮捕前のアレックスは悪の権化として描かれているのではなく、善悪均等に本能に従って行動しています。
実はほかの登場人物も本能に従い自由に生きています。アレックスに殺されたおばさんも下品な彫刻を揃えていたり、政治家は私利私欲にまみれ、更生委員や警察官は逮捕されたアレックスに合法的に暴力を振るっています。
全体主義
現代日本では、警察や自衛隊などの治安活動、スポーツ以外での暴力は悪です。人間が本能的に求めるものだとしても悪として制限されています。セックスは一部の規制はありますが悪ではありません。音楽を聴くのは当然悪ではありません。
人間の本能的な欲求といえども、社会に悪影響がある暴力は規制されます。同意なきセックスも規制されます。人間が生まれ持った本能ではなく、社会によって後付けされた規制です。
刑務所では人を番号で呼び、看守は不自然な歩き方をし、ドアを開けることすら手順化された不自然なものとして描かれています。
自由と全体主義のの対立
この物語が提起する中心的な問いは、まさにアレックスが体現する「本能的な自由」と、社会が求める「全体主義的な秩序」の間に横たわる深い溝にあります。アレックスは善悪の区別なく、自身の内なる衝動に従って行動します。そこには、時に暴力的な側面が含まれながらも、生きる喜びや人間が本来持っている多様な欲望が混在しています。
しかし、社会はそうした無秩序な自由を許容しません。個々の安全と公共の福祉を守るため、人々は一定のルールや規範に従うことを求められます。暴力が規制され、倫理的な行動が奨励されるのは、社会が円滑に機能するための必然です。刑務所における画一的な管理体制は、まさに個人の自由を抑圧し、社会の型にはめ込もうとする全体主義の象徴と言えるでしょう。
善は選択することで善となる
自由と全体主義の対立の外、中間として牧師が登場します。牧師は暴力を振るいませんし、規制もしません。「善は選択することで善となる」と善悪の区別をつけながら、選択の自由を持ち、その中で善行することで、善人となります。
アレックスは出所を早めるために牧師の手伝いをし、善行を望んでいるように思われています。殺人を犯した残虐な人物だとすると、自然な動機です。しかし、それだけが目的かどうかは明確には描写されていません。実はアレックスは入所時に自分の宗派を即答できる程度にはクリスチャンでした。聖書も暴力描写がある章を中心にしてはいるものの、よく読みます。人間の本能に忠実であり、善行は本能的に求めるものでもあり、アレックスは本当に善行を望んでいた可能性もあります。
善行を行うためルドヴィコ療法を選択した結果、機械的に全体が望む、暴力とセックスを行わないことしかできなくなり、選択することができなくなってしまったのは皮肉です。
機械じかけのオレンジ
Clockwork Orange(機械じかけのオレンジ)とは、イギリスで見た目は普通だけど中身が変という意味のスラングだそうです。オレンジは自然なもので、機械でできていたら不自然です。アレックスもスーツを着こなした見た目は男の子ですが、本能に忠実すぎて中身は変です。
機械は機械的な行動しかできません。牧師は「人間が選択できなくなった時、その人間は“人間ではなくなる”」とも言っています。ルドヴィコ療法を受けた者は人間ではなくなった、それは機械だという意味にも捉えられます。
完璧に治ったね
では「完璧に治ったね」とは何が治ったのでしょうか?暴力やセックスに対する興味のことでしょうか?
実はアレックスは、暴力やセックスに対する興味を失ったり、キリスト教的な倫理観は手に入れていません。病院での心理テストで自由に発想させたとき、直接映像的に連想させないものであれば暴力的で下品な発想をし、表現しています。
暴力性は変わらなかっただけなので、戻ったわけではありません。ということは、ラストシーンで治ったのはルドヴィコ療法での条件反射がなくなり、選択の自由が戻ったことです。
まとめ
単純に見ると暴力を礼賛する映画でしたが、その実「暴力 vs 管理社会」のようにミスリードをガンガン誘ってくる話でした。
- 逮捕前にアレックスは善悪の区別をつけていない
- 刑務所で更生したかどうか明確には描写されていない
- 釈放後に暴力やルドヴィコ療法が明確に失敗している描写
非常にわかりにくい形ですが、暴力や管理社会は明らかにうまくいかないこととし、善とは何か問いかけています。一方で様々な本能的な欲求が存在していることをエンターテイメント性たっぷりにわかりやすく描写しています。どちらもこの映画の本質であり、現代社会でも抱え続けている問題だと思いました。